「強育」
きょういく
この言葉は岡崎ぎゃざが造り出した造語です。
意味は?
「強いられた育み」という文字通りの意味です。
親やその他教育者の思い通りに動かす・指示する・命令する
ように教育することをいいます。
子ども自身が意思決定をするところを教育者が決めてしまうことで子供は自分で考えて決める力が養われません。
このように“強育”をしていると、いざ自分で物事を決めなければいけない状況になったときにどう考えたらいいのか、どれに決定すればいいのか
分からなくなってしまいます。
それが最初に起こりうる状況が、親から離れて活動する、就職活動の場面ではないかと思います。
自分が何がしたいのか考えられない。
〇〇がしたいけど、なにを基準に選べばいいのかわからない。
まだ、夜ご飯に迷って決められない程度ならいいですが、人生において大事な選択をしなければいけない時は、何回もやってきます。
そんなときに、間違ってもいいから自分で決める力があることが大事なのではないかと思います。
これも一人で生きていく力ではないかと思います。
そのために、親や教育者が力になって普段から子供自信に決定権を与えることを心がけるべきではないかと考えます。
それは大したことでなくていいです。
お茶を飲むのか飲まないのか。
学校へ行くのか行かないのか。
今日の晩ご飯はなにがいいのかなど、小さな小さなことで構いません。
その小さな積み重ねが、考える力や決定する力になりえます。
もちろん、岡崎ぎゃざ「造育こうざ」でもなるべく考えるような構成作りには心がけていますが、やはり大事なのが、毎日のご家庭でのケアではないかと考えます。