造育こうざのねらいというか成り立ちというか。
自分たちが子供のころにこんな教室あれば絶対行きたかった、と思う教室づくりをしています。楽しくあるのはもちろん、同時に考える力や生きる力を自然と身に付けられたら、、と思い始めました。
岡崎ぎゃざが子供たちに伝えたい事は、
「自分の思うように生きよう!」ということ。(人に迷惑はかけずにね)
正直、家庭の範囲でできる規模のことをねらって考えています。
岡崎ぎゃざに来なきゃできない、お家に帰ったらぜんぜん違う。
それでは意味がないと考えています。
岡崎ぎゃざに来る日は365日のほんの数日。
そのほんの数日だけ「自分の思うように生きよう!」というねらいが伝わり、存分に表現できたとしても、ぎゃざと関わることのない残りの300日あまりで自分の思うような表現ができていなければ、意味がないと思います。
365日に影響があってこそ、はじめて意味のあることに変わると思います。
ぎゃざでのほんの数日がただの思い出に変わらぬよう意味のある造育こうざを心がけて考えております。
なので、親御さんともできるだけ密に連絡を取りたいたいと考え、毎回造育こうざのあとに、そのとき観察して思ったことをすべて伝えるよう心がけています。
この岡崎ぎゃざも、わたし達自身の表現方法です。
もともとは、廃材を使った子供向けの参加型ワークショップをしよう!
というところからはじまり、活動していました。
するとワークショップで、あることに気がつきました。
それは、大人が子供に対し決まった表現を求めていることでした。
顔を描いているとき、緑色の肌を描いている子がいました。
すると、
「ちがうでしょ。お肌は肌色にしようね。」
と、親が直してしまいました。
確かに、日本人は肌色かも知れません。
でも、緑だっていいじゃない。
なんでこの子が緑にしたのか。
その理由が一番のポイントだと思います。
それなのに、大人は生きてきた経験から「これはこうだ」「こうでなきゃ」という固定概念があり、どうにか子供をその型にはめようとします。
その様子を見た時、これはこの親子だけに起きていることではないと感じました。
世の中、こういう親子にあふれている。。
さらに、こういった親にはこのような様子も見受けられます。
それは、「〇ちゃんのために何でもやってあげる」と、ご奉仕する親です。
何歳になっても子供は成長しません。
親としての最大の目的は「子供を独り立ちさせる(思い通りの表現をできるようにした上で)」ということだと思います。
それなのに、何でもやってあげてしまっては、いつになっても独り立ちできるようになりません。
子供は20歳になった瞬間に何でもできるようになるわけではありません。
それまでの積みかさねにより、だんだんとできるようになっていきます。
子供のうちから自分で考える、行動する練習をしないと、自分で考えるチカラが無くなっていきます。「今日着る服はどれにする?」だったり身近なことから考える時間はたくさんあります。その時間を親が奪ってはいけません。
学校は決められたことを淡々とこなしていく日々です。
学校は考えなくていいので、楽です。
でも学校を出たときに、自分のしたい表現はなんなのか?分からず苦労します。
「わたしは何がしたいんだろう?」「なんのために生きているんだ?」と。
私たちは、そういう親や子を増やしたくない、
自分の表現ができる子になってほしいという想いがあって、やっています。
造育こうざに来てくれる子、ブログをご覧いただいている方、
ひとりでも多くの方に伝わると嬉しいです!!