前回の反省より
(前回のこうざの記事↑)
前回の造育こうざで岡崎ぎゃざが反省すべき点がありました。
それは、子供の思いをくみ取ってしまったことです。
人の気持ちなんてわかるはずもなく、その子の本当の意志を聞くことができませんでした。
次、その子が来てくれたら
・気持ちを聞かなかったことを謝る
・これから岡崎ぎゃざがどうするかを伝える。
この2つを伝えようと考えていました。
なぜ、伝えようと考えるのか
大人だろうが子供だろうが、全て「人」です。
同じ生き物である以上、対等だと考えています。
なかなか子供に対して謝ることができない大人もいるようです。
どこか変なプライドが働くのでしょうか。きっとそれは子供より自分が優れていると勘違いしているように思います。
「大人は子供より偉い」なんて思わず、
「自分(大人)も失敗する。だけど、謝って次からどうするかを言おう。」
そんなところを見せられる親や教育者が素敵ではないかな?と考えるからです。
そして、
造育スペースを運営する岡崎ぎゃざも、間違えることはあります。
そんなとき、素直に認めて子供たちと話をし、一緒に成長していくべきだと考えます。
岡崎ぎゃざの造育は「押し付け」ではありません。
子供たちから求められたときに成立します。
それが岡崎ぎゃざの考える「環境づくり」というものです。
例えば、
宿題をしなさい!と押し付けても聞かないと思います。
分からないところがあったら聞いてね、と伝え、聞いてもいい状況をつくっておく。
やるかやらないないかはその子次第です。
その代わり、「なぜやった方がいいのか」や「宿題をやるスケジュールを一緒にたてる」
などの、環境づくりを行うのが、大人の役目だと考えます。
伝えた結果
そして、その子が来てくれました。
(正直ホッとしました。)
岡崎ぎゃざ「○○ちゃんに謝らなきゃいけないことがあるの。」
その子「なぁに?」
岡崎ぎゃざ「こないだのこうざで作品が完成できなかったけど、できたとこまで発表したかった?」
その子「今はそんなに思ってないよ。」
(とっても正直な返事がきました。)
岡崎ぎゃざ「今は思ってないけど、その時は思ってた?」
その子「うん。」
岡崎ぎゃざ「思ってたんだね。その時に○○ちゃんの気持ち聞かなくてごめんね。
作品完成してないから、発表したくないだろうなって勝手に考えました。」
その子「うん、いいよぉ。」
岡崎ぎゃざ「次から全部聞くようにするからね!」
その子「わかったよ!私やさしいってママに言われるから、許すんだよぉ。」
岡崎ぎゃざ「許してくれて、ありがとうね。」
岡崎ぎゃざの伝え方は合っているのかわかりませんが、おそらく「謝りたい」「伝えたい」という気持ちは伝わったのかと思います。
だから、許してくれたのかな?とそう思います。
伝えてよかったです。
また少し、心に寄り添えたかと思います。
そして、最後に言った
「ママにやさしいねって言われるから」
という言葉。
この子がいつも穏やかなのはきっと普段からお母様が繰り返し伝えているんだろうな、と思います。
人は他人から『やさしい子だね』など言われた分だけ、その言葉どうりになっていくらしいです。そんな研究結果もあるようです。
そして、許してもらって岡崎ぎゃざが返した言葉は
「ありがとう」
です。
ここで、使ってしまいがちな言葉は
「許せるなんて、偉いね」
という言葉。
つまり、“褒める” ということですね。
褒めるというのは、あからさまに上から目線の言葉になります。
なぜ褒めるかというと
「自分の思い通りに言動してくれたからです。」
褒めるというのは褒める側の押し付けです。
先程から同じことを言うように、教育は押し付けではありません。
だから、岡崎ぎゃざは褒めることはしません。
同時に、怒る・叱ることもしません。
これも押し付けになるからです。
叱ると褒めるは、表裏一体です。
親の型からはみ出した行動をすると「叱る」
親の型にはまった行動をしてくれると「褒める」
すべて自分の思い通りにしたい気持ちからなんです。
子どもがやってはいけないことをしたら、
一緒に考え伝えることが大切で、対等な関係を築きます。
だから、対等である関係だと考えると
「ありがとう」
という言葉を選びます。
感謝・謝罪に上下関係はありません。
子供たちと対等に向き合える、言葉だと思います。
これからも、一緒に成長していきます。
許してくれて、ありがとう。